富士市立富士川第一小学校

学校紹介がっこうしょうかい

学校紹介

1 学校沿革の概要

(1)名 称 富士市立富士川第―小学校

(2)所在地 富士市岩淵107番地

(3)沿革の概要

    明治 6年  9月  岩淵の清源院に文淵閣として小学校開校。
    明治25年  5月  富士川尋常高等小学校と改称。
    昭和16年  4月  富士川国民学校と改称。
    昭和22年  4月  富士川町立富士川小学校と改称。
    昭和30年  8月  プール完成。
    昭和32年  4月  富士川町立第一小学校と改称。
    昭和32年 10月  校歌制定。
    昭和36年  3月  完全給食実施
    昭和39年  4月  特殊学級新設。
    昭和41年  8月  新校舎落成。
    昭和43年  5月  体育館落成。
    昭和48年 11月  創立100周年記念式典挙行。
    昭和57年  6月  フラワーベルト造園。
    昭和59年  6月  フラワーライン造園。
    平成10年  9月  運動場整備・散水機設置。
    平成11年 12月  コンピュータ室使用開始。
    平成14年 10月  郡教育委員会連絡協議会指定の研究発表会を開催。
    平成18年 10月  校舎大規模改修完成。
    平成20年 11月  富士市と合併し、富士市立富士川第一小学校と改称 
    平成22年  2月  百葉箱の設 
    平成23年  3月   理科室・家庭科室ガス栓工事。
    平成23年  4月  プール配管工事。
    平成24年  6月  プールサイド工事 。
    平成25年  6月  大プール底面補修工事。
    平成26年  1月  敷地外周フェンス取付工事。
    平成26年  7月  受水槽移設工事。
    平成26年  9月  体育館新設工事開始。
    平成26年 12月  体育器具庫・外トイレ改修。
    平成27年  8月  旧体育館解体。
    平成27年 11月  体育館落成。
    平成28年  1月  富士市立富士川第一幼稚園併設工事完了。
    平成29年  8月  プール循環操作機交換
    平成30年  1月  AED体育館西側壁に設置
    平成30年 11月  富士市合併十周年記念式典開催(富士川ふれあいホール)
    平成31年  2月  正門の創立百周年記念「校歌碑」を校舎南側に移動
    令和 1年  6月  プールサイド・機械室工事
    令和 1年  6月  普通教室エアコン設置工事完了
    令和 2年  4月  コミュニティスクール制度運用開始
    令和 2年  6月  プール内装工事完了
    令和 3年  2月  GIGAスクール構想一人一台端末設置工事完了
    令和 3年  7月  運動場南側防球ネット嵩上げ工事

    現在に至る。

2 学区

(1)学区の構成

北に位置する木島地域の3区、学校周辺の岩淵地域の6区、富士川駅周辺の中之郷地域の15区から成る。

(2)学区の特徴

 東に富士川、西に野田山、北に雄大な富士山、南には駿河湾を眺め、自然に恵まれた環境の中に立地している。校地東側には、旧東海道において、江戸から三十七里の道標となっていた―里塚の史跡がある。また、学校の北東には、東海のネオバロックと呼ばれる建築様式で見事な佇まいを見せる明治期の代表的な建造物で、国の重要文化財の指定を2005年12月に受けた古谿荘がある。さらに、学校の北側には、東海道岩淵間宿に現存する唯一の歴史的建造物で、国の有形登録文化財に指定されている小休本陣常盤邸や、1199年に真言宗の寺院として開創された新豊院(曹洞宗)などがあり、歴史と文化を感じさせる地域である。
 木島から発掘された遺跡群から、この地域には縄文時代の早期から人が暮らしていたことが推定されたほか、江戸時代に徳川幕府の公領地となり、富士川の渡船と甲州との舟運として栄えたことなどが知られている。現在でも東名高速道路等の主要幹線道路が貫く地域であることや、東に工業地帯を抱えていること、そして、北進すれば富士宮市や山梨県へと続くことから、交通の要所であることに変わりはない。そのため、本校区の交通量は極めて多い。特に、蓬莱橋や富士川SAに設置されたスマートインターチェンジの利用者が増加したことにより、登校時間帯に本校南側を通る県道188号線を通過する車両台数がたいへん多く、児童を交通事故から守るためには、地区をあげての交通安全指導が欠かせない。このような事情から、平成27年度現在で、総勢80人ほどの方が防犯ボランティアとして登録し、児童の登下校を見守る活動を行っていることはたいへんありがたいことである。
 地域の学校に対する協力姿勢はたいへん高く、防犯ボランティアの他にも、「コツぷり(=毎日コツコツ行う算数のプリントの略称)」の添削をしていただいている方が約20人、クラブ活動を支援してくださる方が約25人、特別支援学級の行事を支援してくださる方が約15人、読み聞かせをしてくださる方が約25人、学校周辺の花壇を手入れしてくださる方が約5人と多くのボランティアの方が児童のために力を貸してくださっている。
 地域の産業については、中之郷に合板加工製品を製造している(株)NODA、辞典等に使われる薄葉紙や食品包装紙を製造している(株)王子エフテックスがあるが、多くの住民は、富士市又は静岡市へ通勤している。また、旧富士川町の時代からキウイが特産品として知られているが、以下のデータから分かるとおり、農家の数は減少の一途をたどっている。富士川地区では、木島地域や岩淵地区の西側に農家が散見されるが、専業農家であるとは考えにくい。